このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2008年4月6日(2)
今も続く・・・
・・・吸血鬼の呪文・・・
(第二部)
みなさん、こんにちは。
先週のニューズレターのテーマを続ける。ニューエイジ宗教も含めて、宗教は、いかにして人々を奴隷化してきたのか。人間の可視領域のすぐ隣の周波数帯域で活動している蛇悪な神(訳註:原文"serpent gods"とあり、邪悪と蛇の意味を合成した言葉にした)の代理人として人々のエネルギーを吸血鬼のように吸い取ってきたのか。
もし先週のニューズレターを読んでいなければ、まずはそれを読んでほしい。二つは一体であり、つながっているからである。
この問題について初めて理解する人のために、重要なポイントを話すと、われわれが両目を通じて「見て」いる物質的な次元は、ほんの小さな狭い周波数帯域にすぎない。ちょうどテレビ局が他の多くのテレビ局と同じ空間を共用しているようなものだ。NBCはCBSと同じ空間を共用し、ITVはBBCと同じというふうに。
リモコンのボタンを操作することでテレビは特定のチャンネルに合わせることができる。テレビの画面に出てくるのは一つのチャンネルである。しかし、見ていない他のチャンネルも同じ空間に存在し続けている。そのチャンネルに合わせていないから、テレビ受信機が拾っていないだけである。
同様に、真実の永遠なる周波数と次元は、今あなたが座ったり立ったりしているその場所に存在している。しかし、通常、たいていの人々は殆ど全面的かつ恒常的に、その内のたった一つのチャンネルである、道路や風景として知覚される「物質的世界」だけを認識している。
この次元、われわれの目が届き、脳が解釈(デコード)できる可視光線と呼ばれる周波数帯域にわれわれをチューニングする役割をになうという意味で、人間の肉体コンピュータはテレビと同じである。テレビの画面に相当するのは脳であり、脳は周波数と電気的な信号を、立体ホログラムの現実に変換する。
たいていの次元は、振動という意味で、われわれの周波数帯域よりも遠く離れており、直接の相互作用はない。しかし、選局したダイヤルが互いに接近していると、ラジオ局が互いに干渉したり、ときには合流してしまうのと同じく、互いに相互作用することになる。同じ原理だ。
われわれの次元によく干渉してくる周波数帯域のことを、「低層四次元」または「異空間の交渉面(inter-space planes)」と私は言ってきた。これらの悪魔的な領域のことを、「低層アストラル」と呼ぶ人もいる。
私たちが「地球」と呼ぶこの現実界を操る爬虫類人は、可視光線の周波数帯の少し外側にいるが、影響力を行使するには十分な近距離で活動している。人々を操るためのもっとも効果的な手段は、世界中の文化に記録が残っているように彼らが古代に種付けした混血種血族に憑依することである。
ズールー族は、彼らのことを「チタウリ(Chitauri, 蛇悪の子たち)」と呼ぶ。アジアでは「ナーガ(Nagas)」、聖書の文章では「ネフィリム」または、人間の娘と交わったオリジナルの「神の息子」と言う。
作品の著作権はニール・ヘイグ。
私が「イルミナティ血族」と呼んでいるのは、蛇悪な神々と人間との交配によってつくられた混血種血族のことである。他の普通の人間と比べて、混血種血族のもつ振動の互換性と接続性は、蛇悪な神々による憑依をより強力かつ容易にできる。
爬虫類人によって憑依された血族は、青い血(貴族)の血族であり、公然・非公然両面で、権力構造のトップにいて人間社会を支配する。政界、金融界、多国籍企業、マスメディアのオーナー、法曹界、医者、軍人などなど。
私は、この一連のニューズレターに於いて、これらの中枢的権力構造のもう一つの要素として「宗教」に焦点を当てようとして居る。
明らかに、宗教の押し付けは、その大半が、思考と感性を抑圧し、心を牢獄に入れるためのものである。別の言い方をすれば、「一つ」の信条で人々を洗脳し、それ以外のさまざまな可能性を人々から奪うことである。「イエスはわれわれの救世主、他は何も知る必要はない」。
しかし、ウサギの穴を深く追っていくと、宗教には別の役割もあることが明らかになった。きっと読者には初耳だろうが、ぜひとも知っておくべき重要なことである。宗教は、「神々」にエサを与えるために人間のエネルギーを供給する発電所ネットワークでもあるのだ。「神々」は、かつて古代では公然と崇拝され、現在では神の追従者と献身者を通じて間接的に崇拝される。
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吸血「神々」が人間から吸い取るエネルギーは、可視ではないが、感じることはできる。なんらかの感情を抱くとき、たとえば恐怖を感じるとき、エネルギーの負荷が身体を通るのが感じられるだろう。肉体エネルギーの密度が増したのを、「恐怖で凍りついた」と感じるだろう。心配したり悩んでいると、お腹のあたりが痛くなるであろう。悲しみに打ちひしがれたときには、胸に圧迫を感じるであろう。
このエネルギーは、しばしば「共鳴」といわれる。人と会ったときにその人から発せられる良い雰囲気、悪い雰囲気である。
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もしもわれわれが周波数を切り換えて真実のもっと深い領域を見ることができるなら、感情が動くときに物質的なレベルで感じていることが、感情的な状態になったり思考するときにわれわれから流れ出るエネルギーの表出(可視光線の外側の周波数帯における)であることが分かるだろう。そして、このエネルギーは、そのエネルギーが属する可視光線のすぐ向こうにある周波数帯域の中に存在するものによって、捕獲され吸収される。
これが異次元の爬虫類人等が行っていることである。彼らは、低い振動レベルの人間の感情を糧にしている。恐怖、ストレス、心配、罪悪感、憎悪など。これらは、われわれが「恐怖」と呼ぶ一種類のエネルギーを細分化したものである。
人間の感情が操られ、恐怖のエネルギーを生み出すようになればなるほど、彼らエネルギーの吸血鬼たちが精力的に生き延びるための栄養をとることができるようになる。血を吸う吸血鬼は有名だが、そもそも血液とは何か? それは、人間のエネルギーを運ぶ大きな導管である。
映画マトリックスのモーフィアスが言った通り、人間は「その内の一つ」に変換されてきた。
人間を奴隷化する陰謀において宗教が果たすべき主要な役割がこれである。そして、私はニューエイジもそれに含める。先週述べたように、
「『ニューエイジ』が新しくもなんともないのは明白である。ただの新手の宗教であって、あらゆる宗教がやっているのと同じことをしている。表向きはまったく無秩序に見えるが、その陰には、基盤となる従来型の宗教が隠れている。他の宗教と同様、物か人かを崇拝することが基本であり、信者は自身を崇拝物の一部ではなく、それよりも小さな存在と思っている。
ああ、いろんな宣伝文句が聞こえるね。みんな一つになるだの、パワーを取り戻すだの。でも、そんなものは、ニューエイジ活動の究極の目的には、たいがい究極ともいえない目的だが、存在しない。私が見たものは、教祖と神への崇拝と精神的高揚の中で、自分たちのエネルギーを「献上」している人々である。」
そして、崇拝するという行為は、崇拝対象としているものと、エネルギー的に接続する行為である。その接続がいったん確立され、あなたを奪い、コントロールする許可が与えられると、あなたが共振して自分自身を閉じ込めたものが何であれ、あなたはその直接のエネルギー源となってしまう。
では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、ニューエイジその他全ての観点から、これはどのような意味を持つのか? それは同一の異次元の主体、エネルギーを吸引する吸血鬼である。
先週、概略を述べたが、主要な宗教とその他の多くの宗教、宗派、カルトは、シュメール/バビロン(現在のイラク)、エジプト、インダス渓谷、中国、その他として知られる古代文明に起源がある。
であるから、蛇悪な神々を崇拝するという点で全部が連携していることは驚くことではない。アフリカや南北アメリカ大陸その他の地域でも同じものを発見することができる。蛇悪な神々はその後さまざまな別名をもつことになる。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、ニューエイジ、その他すべての神々として。
イエス、アラー、エホバ、ヤハウェ、クリシュナ、カーリ、サナンダ、もしくは昇天した導師たちを崇拝する人は、自分の心とエネルギーをそれらの共通の源である蛇悪な神々等に捧げている。
崇拝するイエスよ、アラーよ、エホバよ、ヤハウェよ、クリシュナよ、カーリよ、サナンダよ、昇天した導師たちよ・・・
作品の著作権はニール・ヘイグ。
これからニューエイジと東洋の宗教を例にとって、全ての宗教を通じてどのようなことがなされてきたのか述べる。多くの人々は、西洋の宗教の管理的なあり方と比べて東洋の方が悟りを与えるものと思っているからである。この悟りという感覚は、東洋哲学においては、全ては一つであり、この世界は錯覚であるとする事実から来ている。
一体であること、錯覚であることについては私も同じことを言っているが、そこから先は即座に別れている。その他大半は、いってみれば、東洋の宗教が精神的に優越であると主張するなら、キリスト教やユダヤ教、イスラム教があらゆる点で操作し、誤った方向に誘導しようとしている全くくだらない内容となんら変わらない。
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全ては一つかもしれないが、誰でも全体から表出したユニークな存在であり、ユニークさは、全てを一緒くたにした没個性の均一性の混ぜ物にぶち込むようなものではない。この世界は(他の全てと同様に)立体的な物質性という意味では錯覚かもしれない。しかし、全て錯覚だから自分の心を修道服に身を包んだ残酷な教祖に引き渡さないといけないと、いったいどこで言っているんだ?
私は契約書の中の条項を見落としてしまったのだろう。『もしも自分の心を解放したいと思ったら、教祖をみつけて、彼に与えること。そして、それ以降、もはや心を持っていなくても、自分の心は自由だと思うこと。』
小さな字で印刷しやがって。
私は、ニューエイジの相当な部分の基盤となっている東洋の宗教、宗派、カルトの信者だった人々から、何年にもわたって多くの情報をもらっている。彼らによると、目に余るような操縦とマインド・コントロールによって信者たちは思想と行動の自由を取り上げられたと述べた。「何をすべきか教えてください、尊師よ、主よ、霊能者よ、地上の生き神よ」
なんてバカげた戯言だろう。
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ニューエイジは金鉱の前の最後の袋小路である。デーヴィッド・アイク
作品の著作権はニール・ヘイグ。
私は数多く教祖に心酔している人に会ったが、「心ここにあらず」と目が語っていて、独創的な考えのまったくない意見だった。彼らの心は、教祖や指導者が言った通りに行動し、考え、信じているだけのものだった。彼らの目はどんよりしていて、近づいてくるトラックのヘッドライトに釘付けになったウサギのように、相手の向こうにある別の世界、現在彼らを支配している現実の方を見つめている。
更に、これらの「悟りを開いた教祖たち」の中には小児性欲者もいて、その力を使ってコントロールして、若い弟子たちや信者と次々にセックスする。金銭的な不正や詐欺もある。高度な技をもった奇術師が「エーテル」からプレゼントを生み出す(袖をうまくつかったか、クッションの裏か)。
彼らの全部がそうだと言っているのではない。しかし、今述べたことは、例外とはとてもいえない。とても。彼らに共通するものはといえば、信奉者が神を崇拝するときに、彼ら自身を仲介者として祭り上げ、神を代理するものだと言って、彼らを通じて神を崇拝させることである。
「私はカーリの化身である」「私はクリシュナの顕現である」「私は地上の生き神である」いえ、そんなことはないよ、あんたは勘違いしてるか、詐欺師だね。われわれは、全員、神の息子であり娘である。無限の根源の一面である。そろそろ私たちはそれを思い出すときだ。
この目覚め、もしくは記憶を取り戻すに当たって、教祖や指導者を拝むことが助けになるはずがない。教祖たちは、自分たちを他のすべてより高きに置き、それによって、宗教がもつ階層組織の本質と、それを反映した社会をより確固としたものにする。まさにその階層的な構造が、人々を「無力で小さなわたし」という認識に駆り立てたのである。
東洋の宗教とニューエイジの中にもまともな人も活動していて、なかなか良い仕事をしているけれども、多くはそうではないことを肝に銘じておく必要がある。
ブロンテ・バクスターというペンネームの女性から非常に多くの情報を送ってもらった。彼女は、ビートルズで有名なマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによって普及された超越瞑想(TM)運動を長きにわたって経験している。マハリシは、彼にTM瞑想のテクニックのもとになるものを教えたグル・デブという男に啓発されたと言っている。マハリシは信じられないような奇蹟を起こすことができたようだ。例えば、若い信者を寝友達に変えることができた。
ジョン・レノンはローリング・ストーン誌とのインタビューでマハリシのことを暴露し、「彼が、ミア・ファローをレイプしようとしたとか、ミア・ファローと数人の女性とセックスしようとしたとかで、大騒ぎがあった」と言った。レノンは彼に関連して「セクシー・セディー」という曲を書き、その歌詞には「セクシー・セディー、何をした、みんなをバカにした、セクシー・セディー、今度はきみの番、どんなに自分がデカイと思っていても」とある。
「そう、あれはマハリシのことだよ」、後にレノンは明言した。「ちょっと逃げてしまって、『マハリシ、何をした、みんなをバカにした』とは書かなかった」
マハリシ:セックス、マネー、ロックンロール
ブロンテ・バクスターは私に語った。新入会員(秘密結社の用語だ)は、プージャというトランス状態の儀式を経験しなければ、TMを教えてもらえない仕組みだった。これはインドの儀式で、花や果物、キャンドル、香料といったものをデブ教祖の写真に捧げるものだった。
いったいぜんたい、悟りを開くのと何の関係があるんだい?
ブロンテは続ける。
どのようにロビンは再現しません
『TMの呪文を活性化するためには、修行者の勤めとして捧げ物とひざまづくことが求められた。呪文は、無意味な音であり、精神的な超越を促し、生命を支える性質を備えたものだと修行者たちには説明された。しかし、TMを脱した者が後に発見したのだが、呪文は実際はヒンドゥー教の神々(先週私が述べたように爬虫類人の神々である)の名前であった。また、上級の呪文は、「私は服従する」という意味の「ナマー」という言葉を含んでいた。
私が辿り着いた結論は、新入会員が自ら進んでひざまづき、呪文を受け入れたときから、指名された爬虫類人の神が憑依し始めるのだということだった。ひざまづくことと、修行者が持ち込んだ捧げ物は、新入会員としての同意と意思を示す行為として重要なのであり、私たちの中にはそのような本人の同意なくして呪文は機能しないのではないかと疑う者がいた。だから、修行者をプージャ儀式に引き込むという重要性もあった』
大いなる一連の東洋宗教とその派生であるニューエイジは、大多数の人々はそう思ってもいないが、通常、同じ方法で活動していると言える。秘密結社も同じテクニックを使う。何も知らないけれども役に立つ人間を招待して彼らの「序列」に入会させる。そして儀式を使って、彼らを異次元の神々に共振させる。
東洋のグルと西洋のニューエイジのグルもどきが利用した人心操作の呪文は、神々に対する同意を促し、共振的な結合をさせるために悪用された。
抱擁する教祖たちもいる。抱擁を受けるために信徒たちを整列させて、教祖のエネルギーを体験するというのだが、エネルギーを受け取っているのは誰なのか。信徒なのか、教祖なのか、それとも教祖が代理する「神々」なのか?
心理操作とこれらのテクニックと儀式の濫用は一つのことを目的としている。対象者を蛇悪な神々と共振させ、彼ら自身を神もしくは神の代理とする教祖に捧げることによって、彼らが自ら許可するように仕向けているのである。
子供たちは何を聴いているか
長年もらった通信のもう一つのテーマは、こうした宗教に従属するようになった人々の性格が変わってしまう様子であった。良い方向に変わるのではない。しかし、これは当然のことである。もともとあった性格は蛇悪な神々と合流することにより、それが強力になればなるほど、「神々の心」を映し出すようになるのである。これを憑依という。
同様のことが西洋の宗教でも多くの人々に当てはまる。そして、なぜイエスの信奉者の多くが福音書に描かれたイエスとは似ても似つかないものであるのかを説明する。彼らは「平和の王子」を語るが、それでも侵略、戦争、虐殺を支援する。彼らは愛を語るが、憎悪も勧める。
なぜか? それは彼らが蛇悪な神に憑衣され、蛇悪な神の計画の道具であるからである。
これは、エホバ、ヤハウェ、アラー(同一の蛇悪な神々の別名)についても同じであり、人々のエネルギーを吸い取り、人々の現実認識をコントロールするのである。
モスクにて、蛇悪な神々のお食事時間
空中携挙による捕獲
ヤハウェの導きに・・・
「すべて我が掌中なり」
作品の著作権はニール・ヘイグ。
こうした諸問題に共通するのは何だろうか? 信奉者や心酔者の側に、彼らが何をすればよいか、どう考えればよいかを決めてくれる「救い主」を待望する気持ちがある。これは全ての宗教、宗派、カルトに共通であり、さらに、多くの人々と政府や社会的権威との間にも同じ関係がある。
永遠なる意識が肉体を持った存在である「人間」は、自分自身を、本当の強力な自己から引き離された状態に甘んじている。ホルモンによって化学的、遺伝子的に大人に成熟させてしまった後になっても、まだなお父親や母親に依存しようとしている。
実に多くの人々が心理的、精神的、情意的に赤子状態であり、「一番知識がある人」の指導を求めている。教祖がペテンだったことがわかり、ある宗派を去った信奉者が、また似たような性質の別の教祖のところに移るだけなのを見るのは本当に異様だ。崇拝する対象を求め、誰かに率いてもらいたいという欲求が非常に深く染み込んでいるのである。
理由は簡単である。その人間を依存状態にした教祖のもとを去るだけでは、依存状態を必要とすること自体は変わらないのである。
この依存(憑依)状態を避ける方法は単純である。何も崇拝しない、誰も崇拝しないことである。あなたは既に永遠なる意識なのであるから、崇拝すべきものは(自分の外には)何もない。人を尊敬し、人の行為を敬うことはもちろんよいが、崇拝とか心酔なんてものには思いっきり肘鉄を喰らわしておこう。
自由――教祖も宗教も要らない
作品の著作権はニール・ヘイグ。
崇拝や宗教的な献身を求める者は、端から調べるまでもなく容疑者(ヤモリ)である。どうして他者が自分を「見上げる」ことを望むのか? それは詐欺を働いているか、心理的にとても不安定なので誰かに崇拝されることで自分の内面の不安を克服しようとしているかのどちらかである。まさにその内面の安心こそが、彼らが信奉者たちに、彼らを通じて見つけることができると言っているものだ。
このような特徴は、同様の理由から崇拝されることを切望する、いわゆるセレブたちにも見られる。しかし、それは多くの教祖や「聖人」たちの精神的な病気でもある。
これらの人々が言っていることに耳を傾け、その中から正しいと思うものを掴んだり選んだりすることもよいだろう。しかし、崇拝と心酔はまったく別物である。それは「悟り」を見つけることではなく、マインド・コントロールの強烈な一形態である。
皮肉なことに、主要メディアは何でも固定観念で見るため、よく私のことを「教祖」として扱い、どれぐらい信者がいるのかと質問する。私の答えはいつも同じである。「誰もいないことを祈っている。もし一人でも信者や崇拝者がいれば、その人は私の話を聞いていないことになる」
もし私のやっていることに敬意を表したいのであれば、それは歓迎するし、ありがたく思う。しかし、信者、心酔者、崇拝者? 勘弁してほしい。参考までに、最後にひとつの話を掲載する。
世界は、崇拝する者と崇拝される者の大きな潮の流れに溺れている。もう結構だ。われわれは、自分の心を取り戻し、われわれを奴隷化しようとしている吸血鬼たちにエネルギーを吸い取られるのを止めなければならない。
われわれの心を取り戻すのだ。別の誰かの心と入れ替えるのではない。
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永遠の至福の岸に
ブロンテ・バクスター作の寓話
海を見たことのない無知な農夫が、海を探しに旅に出ました。農夫は残りの人生を、海のそばで、美しい景色に囲まれて日光浴しながら過ごしたかったのです。今までの人生はすべてこの偉大なる旅の準備でした。海を見て、海のそばに住むことが、農夫の人生の目的でした。
農夫が宿に滞在しているとき、欲張りな悪党に出会いました。悪党は農夫の計画を知ると、ずるがしこいことを思いつきます。悪党は、自分は海の近くに住んでいるので、もし自分と一緒に旅をすれば、早く、迷うことなく海に辿り着くと、農夫に言ったのです。
農夫は悪党の案内に従いました。そして、悪党は、たまたま自分が住んでいた濁った池の土手に農夫を連れていったのです。農夫を池に案内する前に、悪党は海について作り話をします。無知な人は、本当の広大な海に気付くことはできず、水溜りにしか見えない。本当に賢い人だけが、平凡な外見を見透かして、海の本当の姿を見ることができる。そして、もし農夫が彼を心から信じてついてくれば、海に辿り着けるだけでなく、その本当の無限の姿を知ることができる。そして一生をその果てしない海辺で至福に送ることができるだろう、と。
農夫が小さな池に到着すると、泥水が見えました。最初、少しがっかりしましたが、「優秀」なガイドから聞いた話を思い出し、その「海」について素敵な想像をすると、気持ちを持ち直しました。そうすると、農夫には見えたのです。その永遠の姿は、普通の感覚で目で見ることはできませんでしたが、目の前にあるのは実は泥水の池ではなく、広大な無限の海でした。
そこで、悪党ガイドは、その素晴らしい超越的な認識について弟子の農夫を褒めて言いました。海は、本当に純粋な心の持ち主だけに、その岸辺で永遠に日光浴をすることを許すものだ。もし、それを望むなら、まずは立派な人間にならないといけない。
「どうすれば立派な人間になれるのでしょうか?」悪党を信じる農夫が尋ねると、「海に対して献身的に奉仕することだ」と悪党ガイドは答えました。「本当だ。私は海の預言者、その無限の海水の生ける姿である。私は、あなたの目に映っているような普通の人間ではない(肉体はただの衣である)。私は永遠なる海水そのものの化身である。もしあなたの心が清らかならば、内なる目で見えるであろう」農夫はその姿を見て、悪党ガイドの足元に崩れ落ちました。
「わが愛する子よ、五感の錯覚を乗り越えて、見えたのだな」悪党が言った。「よい。あとは残りの人生を、そなたの崇める海の化身である私への無私の奉仕に捧げるのだ。そうすれば、海辺で永遠に日光浴して過ごす夢が叶うことであろう」農夫はそれを信じました。ガイドは約束した通り海に連れてきてくれたのですから。嘘をつくはずがありません。
農夫は、彼を本当の旅から外れさせた男の忠実な奴隷として、小池の泥の岸辺で生涯を終えました。農夫は、水を運び、汚い皿や服を洗い、掃除に料理、性的な奉仕もしました。その他、頼まれたことは何でも誠実にやりました。
悪党は、おかげで生活のために働く必要もなくなりました。何でも言いなりになって欲求を満たしてくれる農夫に大喜びでした。彼の主人は海であると思い、自分が住んでいる泥水の池が世界で最高の場所だと思っているバカに。
新しいホームページをご覧ください。www.brontebaxter.wordpress.com
(翻訳チーム:ひつじ)
このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。
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